60 松平又四郎と血寄地蔵(上宿)
  辻川橋バス停から徒歩約3分

 六本柳から約100メートルほど東の道路沿いの右側に、石積みの台座の上、赤い布で囲われた祠の中に血寄地蔵が祭られている。
 篠山藩4代目の城主形原松平康信のもとに身を寄せている松平又四郎という甥がいた。藩主の身内をよいことに、日夜、不行状な生活を続け、領主や家中一同からも大変恐れられ、周囲の者の忠告にも一向に改まらなかった。
 康信は、やむをえないと考えて、万治2年(1659)10月某日のこと、波々伯部神社へ代参を命じ、このあたりで、刺客たちにより惨殺させた。
 又四郎の遺体は、篠山町八上上の阿弥陀寺に手厚く葬られたが、その不幸な死を哀れんだ村人たちが、暗殺された路面を清め、道端に地蔵尊を安置し、供養としたのである。
 今も、いろんな思いを込めてお参りする人々の花や線香が絶えない。 その後、形原松平家は、亀山(現・亀岡市)藩主青山家と交代となり、菩提寺の光忠寺も移築されたが、その墓地の入口の一隅に、血寄地蔵の分身の小さな地蔵尊が北向きに祭られている。

「丹波篠山五十三次ガイド」より