62 波々伯部神社と日置の一里塚 (宮ノ前)
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| 波々伯部バス停から徒歩すぐ 血寄地蔵の東約1キロに波々伯部神社がある。ご祭神は、もと牛頭天王で、現在は素戔嗚尊である。貞観年間(859〜77)の創建とされる。天徳2年(958)に悠基国となったとき、八坂神社よりご分霊をうけたというが、承徳2年(1098)、波々伯部村の田堵(自作農民)13人が二十五町八反余の田地を祇園感神院(八坂神社)に寄進し、荘園・波々伯部保となった際に勧請したとするのが妥当で、丹波の祇園さんである。 土豪の波々伯部一族が深く崇敬し、応永34年(1427)と永正14年(1517)に奉納した薬師三尊懸仏(町・文)が現存する。その後、波多野氏の祈願所となり厚い保護をうけた。氏子は古くより「宮の党八ヶ村」といい、周囲の八ヶ村である。 祭礼は、8月第1土日で、8台の山車の宮入と神輿3基の渡御があり、2台の造り山(きうり山)で演じられる木偶とよぶ12体の操り人形にまつわるお山の神事(県・民俗)は、民俗芸能の貴重な資料である。 なお、長沢芦州の「月下芦雁図」などの計32面の障壁画(町・文)がある。 青銅鳥居(町・文)の横には、篠山城から2番目の一里塚があった。旅人たちは神社にお参りして道中の無事を祈ったことだろう。 「丹波篠山五十三次ガイド」より | |