63 曽地山左近稲荷神社 (曽地中)
 厄神前バス停から徒歩約4分

 日置東の信号を南へ約1.5キロの三叉路を、さらに南南西の方向へ約300メートル行ったところに曽地山左近稲荷神社がある。
 明治43年から、北東方500メートルの通称宮山の中腹にある厄除八幡神社に合祀されていたが、昭和12,3年ころにまた元の場所に祠を建ててお祭りするようになったという。
 12代篠山藩主青山忠裕公が老中であった文政年間(1818〜30)のころ、江戸・両国の回向院広場で大相撲が催されていた。ある年の春場所のこと、このお稲荷さんの化身が、大関王地山平左衛門ら8人の一行の1人として、前頭曽地山左近という力士名で、青山家のお抱え力士に代わって土俵に上がり、大活躍をしてお殿様を大変喜ばしたという話が伝えられている。
 お稲荷さんの主祭神は、宇迦御魂神(倉稲魂神)という五穀の神様である。寺院では平安時代に密教の影響によって、自在の法力を持つ陀枳尼天を稲荷権現とするようになった。
 しかし、いずれも狐を田の神の使いとし、あるいは、その本体を狐の精として礼拝することにより、福徳を求めようとする信仰である。江戸期以降、商工業の発達・貨幣経済の伸展により、町民が繁栄を願う商業神の性格も持つようになった。狐はその尾が如意宝珠に似ていることから縁起がよいものと考えられてわかりやすく、五穀豊穣・招福除災・商売繁盛の神として全国至るところにお祭りされている。ここはそのうえ、先の物語にあやかって、勝利守護・合格成就にもご利益があるという。 ところで、当時の殿様と領民との関係の中で、農民たちが自分たちに幸せを頂けるようにと祈る大切な稲の神様が、姿を変えて領主のご機嫌を取って下さったという説話を、どう理解したらよいのだろう。

「丹波篠山五十三次ガイド」より