丹波篠山鳳鳴の塾で音頭鍛えし美少年![]() 歌いましょかい ふるさとを |
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デカンショ節]
篠山といえばデカンショ、デカンショといえば篠山というくらいに有名です。そのデカンショ節も全国流行から100年を迎えました。 参照 デカンショ節の由来のページ ●デカンショ節の変遷 ●望郷の念が 歌いましょかい ふるさとを デカンショ節の起こりは、廃藩置県後、東京に出た旧藩主青山忠誠(ただしげ)の子忠允(ただこと)や上京した篠山出身者が、篠山の盆踊り歌「みつ節」(デコンショ)にふるさとを想う歌詞をつけて唄ったことにあります。
など郷愁の念が強く現れています。 さらに
といった今も歌われる名文句から
など豪快な歌詞が多かったのでした。 ●旧制一高生との出会い 1898年館山・江戸屋旅館での旧制一高生との偶然の出会いを生んだのもこの豪快な歌詞のためであったでしょう。 一高生は寮生活に持ち帰り、ストームとデカンショ節が寮生活になくてはならないものとしました。そしてわずか1,2年のうちに全国に大流行となりました。 このころ、夏目漱石が「我が輩は猫である」に「いずれも一騎当千の猛将と見えて、丹波の国は篠山から昨日到着し立てでござるといわれぬばかりに黒く逞しく筋肉が発達している」と書いているのもこの歌詞のためではないでしょうか。 一高で歌われていた歌詞としては
など当時の寮歌としての雰囲気を十分に伝わっています。 ●東京から篠山へお里帰り 地元篠山に逆輸入されたデカンショ節は公募され
など篠山地方の地域性を色濃く出した歌が作られています。 大正末期の頃までに現在のデカンショ節のほとんどがつくられています。 1930年〜終戦のころまでに作られた歌は記録として残っていません。 ●平和な時代の到来とともに 戦後、1956年国体参加を機に観光協会や商工会が募集して次々と新作が発表されています。
とようやくつかんだ平和な時代を謳歌しようとする時代背景が伝わってきます。 デカンショは歴史的な書籍に記載されているだけでも数え切れないほどあり、また「先生先生と威張るな 先生」など今でも学生の中で歌われる替え歌などもいれると数百もあると思われます。 それぞれの歌に歴史と人々の思いが詰まっていることでしょう。 |