丹波ささやま
広報インターネット版
1999年11月号
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表紙
(表紙の写真)
10月9日、大芋校区で行われた「第7回三世代親善ゲートボール大会」。
参賀者約150人が一同に集い、健康な汗を流してふれあう姿に、
ふるさとを愛する人々の心根が伝わる。
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登久子さんの街かどレポート ふるさと発見伝4

山崎さん

初めての「丹波夜能」鑑賞は夢のような一夜・・・

街かどレポーター 山崎登久子(郡家)
 まだ蒸し暑さの残る9月11日午後4時、篠山春日神社能楽殿で「第23回丹波夜能」が静かに始まりました。今回の演目は、能が「自然居士」と「卒都婆小町」で、狂言が「磁石」です。今回は、丹波夜能を中心に、篠山の能についてのリポートです。

秋の虫が鳴くなか夜能を初めて鑑賞

夜能 私が能を観たのはこれまでたった1回のみ。3年ほど前、奈良市内の公園に能舞台が作られ、仲秋の名月の夜に演じられた薪能でした。演劇というのは、冷暖房の効いた劇場で、ゆったりとイスに腰をかけて、演者の台詞やストーリーに共鳴したり、泣いたり、笑ったりするものだと思っていましたが、この日は、秋の虫が鳴きしきるなか、淡々と演じられた能に「アレッ」ちょっと違うな、これは何なんだろうと、不思議な気持ちになったことを思い出します。最近になって篠山にも古くから能があることを知り、ぜひ観てみたくなりました。
 今回の演目のひとつ「自然居士」は、両親追善のため、人買商人に身を売り、身代わりにと小袖を自然居士に捧げた子どもを救うため説法を中止し、芸づくしを見せて子どもを取り戻すという筋書きです。続いて演じられた狂言の「磁石」は、旅の途中、人買いの不審な者につきまとわれ、それを逆にやりこめるというあらすじ。能は、難しいもので、何かを知らなくては観てはいけないものと、相当身構えて、この日の丹波夜能に臨んだ私でしたが、「自然居士」が演じられている間は緊張の連続。狂言になって、多少なりとも台詞が分かるようになりました。あらすじも庶民的で分かりやすく、ほどよくリラックスでき、思わずにっこりと笑う場面もありました。
 そのうち、あたりは薄暗くなり、兵庫県の文化財に指定されている能舞台の周囲に燈火がともされ、次の「卒都婆小町」になり、じっとたたずむところから舞台は始まりました。卒都婆小町とは、高野山の僧が卒都婆に腰を下ろす年老いて見るかげもなくなった小野小町に、卒都婆の功徳を説き、逆に論破されます。後場になり、若いころの小町に恋こがれた深草少将の執念が小町にとりつき、狂乱するというものです。能は、所作が具体的、写実的ではなく、極限にまで表現を削った演劇です。難しい宗教問答は分かりませんでしたが、取り巻く闇に浮かびあがった小町が、引き返しも、やり直しもきかない自分の人生の重さに足を引きずり、これから先、進む道の心細さどうしようと途方にくれる姿が一人の老人の姿として、今も心に残っています。

篠山春日神社の能楽殿は全国屈指の本格的な能舞台

 丹波夜能を観たのち、日を改めて、篠山能実行委員会の中西通委員長に、篠山の能と篠山春日神社についてお話を伺いしました。篠山春日神社の能楽殿は、文久元年(1861)に篠山藩主青山忠長が奉納し、床下には丹波焼の大がめが7個埋められ、能楽殿正面の岩山とともに反響効果を巧みに利用しています。全国屈指の本格的な能舞台として、現在も当時の素朴なただずまいを残しています。この舞台も昭和になってからは、ほとんど使われることはありませんでしたが、昭和48年4月14日、満開の桜のもと演能が復活しました。いまでは、雪「元朝の翁」、月「丹波夜能」、花「春日能」と年3回の演能が続けられています。中西さんは、「今年で約30年です」と感慨深げに話されました。続けて、「能を観に来る観客のうち、地元の人は約5%」と言われる中西さんに、「もっと多くの人に興味を持ってもらうために、薪能はどうでしょうか」とお聞きすると、「多くの人に能を知ってもらうのは素晴らしいことですが、イベント的な能ではなく本物の能を観てもらいたい。それがひいては、篠山の文化を育て、人間を育てることにつながる」と熱を込めて話されました。

篠山で観た夜能は夢のような一夜

 今回の夜能にも、地元の高校生がボランティアとして参加したり、舞台の清掃や管理は市職員がこなされているともお聞きしました。これらの本物の能が、若い人たちの心に残り、あちこちで芽をふき、育つことを期待しています。また、建立時のままで残されている能楽殿に、歴史的、風土的に育まれた文化に対する大きなエネルギーを知りました。 
 織田信長が畿内を完全に平定し、祝賀のための饗応能を催した際、丹波猿楽の梅若太夫が選ばれて舞ったという記述が残されているのを知り、遠い存在だった織田信長が身近に感じられました。
 多くの歴史、能に対する思いを包み込んだ篠山の夜能は、夏の終わりを告げるせみ時雨で始まり、「今よいこらし 吾が一番」と、鳴き競う秋の虫の音に変わっていきました。そして、いつしか、その音も次第に聞こえなくなり、秋の風が吹き抜け、何事もなかったように、やみに包まれていきました。篠山で観た初めての夜能は、夢のような一夜でした。


ご存じでしたか?

能楽殿の床下には丹波焼の大がめが
7個埋められています。

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●ぼくとわたしの作品らんど
奥田さんの作品
崎口さんの作品
後川小3年
奥田 奨さん
西紀小4年
崎口 優真さん
藤木さんの作品

「開けてみれば別世界」
くりひろい

せんせい、あのね。
ぼくね
くりひろいに、いきました。
いがの中にくりがあったよ。
虫くいもあったよ。
いくときに、ざりがにがいたよ。
かにもいたよ。
さいごに、山下ゆう大くんに
くりを、僕のふくろにいれてもらったよ
うれしかった。
後川小6年
藤木 一平さん
西紀小6年
堀場 大輔さん

(5)

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