1998年8月号

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伝統が生きるデカンショのまち
篠山町ホームページのアドレス
http://www.town.sasayama.hyogo.jp/


感性豊かな子どもたちを育む 大人社会の役割とは?!

「手あそび」に興じる子どもたち
歓喜の声は部屋中にひびきわたる
子どもたちの心が集中して一つになった瞬間だった

「ひとつ心一つところにじっとしていない」
これは10数年前某劇団の舞台劇での台詞であった
人はいつの時代もあくせくと何かを求めている
人はいつの間にか心落ち着く時を忘れてしまう

せめて子どもたちの多感な時期に豊かな感受性を磨いてやりたい
翻ってやさしさや温もりが教えられるのは大人の役割か
まずは大人が心を一つに共感できる機会が必要なのかも…

写真は、本郷図書館・「かみしばい大会」より
(1)
特集インタ ビュー
!―
いま注目の「歴史街道」を新たなまちづくりの中心にすえて
!
「歴史街道推進協議会」井戸智樹事務局長を訪ねて―
いにしえより人々の暮らしに根づいてきた「歴史街道」。閑静な城下町のたたずまい、街道沿いには昔からの商家の町並みや暮らしの現風景が今も静かに息づいています。
篠山町が「歴史街道推進協議会」に加入したのが1996年。本町では、1997年「歴史街道計画整備プラン」を策定、今後の行政施策の各分野に生かしていこうとしています。これからの事業展開に皆さんの関心をぜひお寄せください。
今月の特集は「歴史街道」推進の発信基地、「歴史街道推進協議会」(大阪市)の井戸智樹事務局長を訪ねて、お話しを伺いました。
Q早速ですが、「歴史街道推進協議会」に携われるようになったきっかけからお話しください。

▼「歴史街道推進協議会」が発足してから12年が経ちました。歴史街道とかかわるきっかけは、「松下政経塾」で堺屋太一さんとの出会いがあったことからですね。
「歴史街道」を見直そうということから、堺屋さんらが提案者となって、文化人・経済人12名が集まり開かれた「世界を考える京都座談会」の中で、「歴史街道づくりの提言」が発表されたことにかかわったのが始まりです。

Q今日では「歴史街道推進協議会」を構成する大きな団体として成り立っていますが…

▼そうですね。1991年に、地方自治体など行政関係が36団体、民間26団体の62団体で発足しました。1998年5月現在では、市町村89、府県8、省庁10、経済界から10、各種団体・民間企業63で計180団体により構成しています。
また、「歴史街道倶楽部」には個人会員約1万名が入会しています。

Q関西エリアの各地域で歴史文化を活かした地域づくりをということで、「歴史街道モデル事業」が整備されつつありますが、この事業がめざすものとしてはどのような特徴があるのでしょうか。

▼一口に言って、地域の(歴史的な)テーマを生かした特色あるまちづくりの推進を図ろうとすることでしょうか。

Q具体的には?

▼まちづくりへの新しいノウハウをつくること。例えば、電柱の埋設。埋蔵文化財の保護のために地上げした道路整備の手法などですね。
〔その他の例〕
・レンタサイクルの設置。歩道と車道の段差をつける
・スタンプラリーによる散策コースの設置
・寺社、ホテルなどとのネットワーク化
・町のイメージにあった公共物(電柱、公衆電話、公衆便所等)の修景
・町で「残したいけれど、壊さざるを得ない建物」の保存
・官民連携による「歴史街道」支援とPR
・TV放映によるPR。現在、歴史・文化を紹介する番組は1000回を超している
・諸外国へのPR。外国語によるガイドブック等の作成、観光客誘致・奨励ほか


Q「歴史街道」が市民生活と地域のまちづくりにどう生かしていくかといことについて、お考えを聞かせてください。
▼市民参加の知恵を集めるということですね。また、地域の「モデル計画」の中に外部からの意見を入れることも大事なことです。
Q「モデル計画」についての考え方をお聞かせください。
▼現在のモデル市町村は、41団体です。今年4〜5団体が加わる予定で、将来的には、50団体が適当な数となるでしょう。

Q「歴史街道」というからには地域と地域を結ぶ「線」で、ということでしょうか。
▼そのとおりです。歴史街道は、「点」から「線」への整備をねらいとしています。例えば、京都―奈良―飛鳥を結ぶ「平安〜室町時代ゾーン」では、「ゴミの持ち帰り」を徹底しています。また、ポイントとなる地点での「地域の語べ」の設置であるとか、近畿県内に2〜3千人のボランティアが活躍されていますが、将来にわたり地域に定着した姿が望ましいといえます。

Qスケールの大きな考え方ですね

▼スケールメリットの相乗効果は必ずあると思います。例えば、各地で歴史街道を「歩くイベント」を展開していただいて、「ウォーキングマスター(仮称)」として5年間でコースを歩いた人には表彰するなど、各地の共通イベントにして連携しあうことも考えられますね。

Qまさに「点」から「線」としてのつながりが具体的になりますね。

▼そうです。こんな例もありますが、アメリカ・ボストンの街では、「フリーダムトレール」といって、街中の散策道に赤色のカラー舗装をし歩くときの目印にしています。だれが歩いても街の主要ポイントが分かるようになっています。これも「線」でつなぐ一つのアイデアでしょう。

Qなるほど、分かりやすい目印ですね。
▼そういう意味では、街道沿いに歴史的なモニュメント化がはかれないかとも思います。
ただ、あまりお金をかけずに、そして一過性のものでなく、手作りのイベント化が望まれます。

Qこれからの「歴史街道推進協議会」の課題は何でしょうか。
▼東京首都圏でのPRが課題としています。「歴史街道」のPRによって付加価値をねらった取り組みを進めたい。例えば、四季を節目に「フォーラム」の開催をしたり、鉄道会社とプロモーションを組んだり、「歴史街道」発案者の堺屋太一さんなど著名人による提唱も大きな波及効果をもたらすと考えています。
また、現在は海外に手応えを感じています。海外に約2千人の方々とのつながりがありますから、一層のフォローアップが必要です。中国や韓国からの観光客が今後ますます増えることが予想されるだけに、「体験交流」の深まりが期待できます。

小さな町や地域にも外国人の方がたくさん訪れるようになってきました。そういう意味では、外国語によるガイドの必要性を痛感しています…。
▼博物館、美術館等での音声ガイドの設置をお勧めしたいですね。ローマ字併記の案内看板で多額な出費をするよりも、コストの安い効率のよい方法 が考られないがでしょうか。そして、「情報は細かいほど人が動く」ということを認識したいものですね。その意味では、街のきめ細かなポイントを紹介したいものです。

Q「歴史街道推進協議会」の現状と課題について大変興味深いお話をいただきました。ありがとうございました。
1993年に発表された「歴史街道100選」に篠山町も選ばれています。
伝統ある歴史の町に誇りをもって、これからのまちづくりに一層努めたいと思います。

歴史街道とは…
関西は、日本の国宝の約6割、重要文化財の約5割、国指定の史跡名勝の約3割が集積しており、世界的にも「歴史文化の宝庫」と呼ぶにふさわしい地域です。
現在、さまざまな大規模プロジェクトが進行中ですが、歴史文化面を切り口とした広域プロジェクトとして、関西をわかりやすく内外の人々に紹介していくための役割を担うものとして歴史街道計画が進められています。
歴史街道計画とは、近畿2府6県を舞台に5つの時代別ゾーンを日本史の流れに沿って結ぶメインルート
(伊勢―飛鳥―奈良―京都―大阪―神戸)と地域の特徴を活かした8本のテーマルートを設定し、これらの歴史文化資源を活用することによって、「日本文化の発信基地づくり」「新しい余暇ゾーン」「歴史文化を活かした地域づくり」を推進しようとするものです。
街道モデル事業とは…?
歴史街道モデル事業とは、来訪者の方々により楽しく歴史文化に接していただくとともに、地域住民の方々にも、歴史的地域に住んでいるという実感を持っていただけるように、だれにでも親しめる地域づくりを進めていくことをモデル的に実施するものです。
モデル事業では、各地域の個性と魅力を創出するために、各市町村の「歴史テーマ」を積極的に活用し、ソフト・ハード両面の事業を、国と地方、行政と地域がそれぞれ役割分担し、従来の地域整備にプラスアルファした手法・工夫・アイデアを積極的に取り入れて推進されています。
歴史街道推進協議会とは…?
歴史街道推進協議会は、1991年に発足し、メインルート・テーマルートを構成する8府県、89市町村のほか、10省庁、10経済・各種団体、63民間企業の180団体(1998年5月現在)により構成されています。
また、これらの団体に加え、約10,000名の個人会員が支援、参画、協力を行っています。
歴史街道シンボルマーク
古代から現代までの建築の中で、形を変えず継承されてきたもののひとつが、この作品の中心に描かれた擬宝珠(ぎぼし)です。擬宝珠を中央に据えた橋(Bridge)は、歴史街道を通して日本の文化を世界に発信する「文化のかけ橋」という意味と、時代と時代をリンクするという意味を持っています。また、この後方に描かれた山、月は悠久の「時」を象徴し、そして、中央の松並木で「街道」のイメージを表現しています。さらに、シンボルマークにあります3つの円は、タイムトンネルを表現しています。
製作者宮田雅之画伯
【プロフィール】
歴史街道推進協議会事務局長 井戸智樹さん
1959年姫路市に生まれる。
早稲田大学、松下政経塾卒。
松下政経塾在籍中の1986年より「歴史街道」計画に携わり 1991年、協議会設立時に事務局次長。1996年より現職。
高校・大学と陸上(長距離)選手として過ごし、 県駅伝大会にも3年連続出場した。
1984年、東洋経済「高橋亀吉賞」受賞。
(2)
歴史街道モデル事業 デカンショと味のふるさと

篠山町「歴史街道計画整備プラン」を策定しました
1998年3月に「篠山町歴史街道計画整備プラン」を策定しています。
本コーナーでは、その概要について紹介し、篠山の「個性」と魅力あふれるまちづくりの展開について、今後ともご理解ならびにご協力をお願いいたします。
篠山町歴史街道市町村マーク
(イメージキャラクター=イラスト)

シンボルティックな篠山城
跡・篠山城大書院を背景に、
デカンショ娘が踊る

(歴史街道スタンプ設置場所
大正ロマン館:)


田園交響ホール西に設置されている案内板
歴史街道倶楽部入会のご案内
歴史街道とは、歴史の宝庫・関西を舞台に日本文化の魅力を楽しく体感できるルートのことです。
篠山町も参画する歴史街道推進協議会では、より多くの人に歴史街道を理解していただくため、「歴史街道倶楽部」の会員を募集しています。
■会費 入会1,000円。年会費3,000円
■特典会員カードの発行、ガイドブ
ック・会員誌・協議会ニュース・リーフレットの送付、施設への入場・宿泊割引など多数…
■申し込み・資料請求住所・氏名・ 年齢を明記して、ハガキかファック ス、電話で、大阪市北区中之島6-2- 27歴史街道倶楽部事務局へ
■問い合わせ先歴史街道倶楽部事務局06-448-5820・06-448-8698企 画政策課へ


篠山町は歴史街道を応援しています!


歴史のまちウォークにでは会員180名が参加
1理念と基本目標
「歴史街道計画」は、近畿2府6県を舞台に、5つの時代別ゾーンを日本史の流れに沿って結ぶ「メインルート」と、「シンボルルート」を設定し、関西の歴史都市のネットワークをめざしています。
この歴史街道計画の中で、篠山は「ひょうごシンボルルート」(テーマルート)の中に位置づけられており、1993年10月に発表された「歴史街道100選」にも選ばれています。現在、篠山町は、篠山城跡を中心とする歴史文化資源を生かしながら、「デンカショと味のふるさと」という歴史テーマに沿って、「個性」と魅力ある地域づくりを進めています。
その理念は、篠山町総合計画の基本目標である「伝統が未来に生きる、大篠山の創造」を基調として、「丹波の森構想」に沿った個性と魅力あふれるまちづくりをめざすこととしています。
篠山町の特性をあげれば…、

(1)歴史的蓄積の視点 古墳時代からそれぞれの時代において培った複合的な歴史資源を生かす「歴史の十字路」としての特性があること
(2)自然的・立地条件の視点 四方の美しい山並みや清らかなせせらぎが、往時をしのばせる史跡や町並みなど「歴史的景観」と相まって、日本情緒豊かな「丹波の小京都」としてのやすらぎが得られること
(3)「ひとのこころ」の視点 生きがいづくりや篠山文化を創造する生涯学習(地域間、都市と農村、国内外)の推進による連携や交流が求められることの3点に集約されます。
全国に親しまれている「丹波篠山」のイメージは、デカンショ節や多くの特産物に象徴されます。これらの一つひとつが豊かな伝統に育まれた篠山文化の結晶であり、うるおいとやすらぎの篠山文化を発信していく連携交流の“道”をめざして、丹波篠山の基本目標を「デカンショのまち、丹波篠山歴史街道」としています。

2具体的な整備の方向
▼歴史文化を重視した自然的・都市的魅力づくり 町並み、森林(山地・平地)、緑地(農地、公園)などを保全・創造・活用するエリアの位置づけと、 篠山町の歴史的魅力を維持創出するために、全町的に重点的なシンボルの形成を図るエリアを設定する
▼美しい景観の形成 田園景観の保全(丹波型民家、里山景観、鎮守の森等)、山景観の保全(広葉樹林)、道路景観の保全、歴史的町並みの保全・修景、街道景観の保全・修景 また、公共事業(道路、河川等)、建築物等のデザインを検討する
▼連携と交流の推進 歴史街道のメインルートやテーマルートとともに、策定中の「兵庫歴史文化回廊構想」のテーマルートと連携・交流を進める
▼情報発信の展開 丹波地域の全体的な統一イメージづくりを考慮。地域特産・郷土料理開発など、よりふるさと意識を高揚し、地域アイデンティティづくりを展開する ▼住民の参加・参画 本計画の具体化に関しては、公共と民間とが必要な役割分担と協力を行う。管理運営には、住民参画を含めて検討していく
3歴史街道整備ゾーン

▽篠山町全域四つの整備ゾーン
(1)丹波篠山歴史街道ゾーン 篠山盆地を東西に流れる篠山川、旧山陰街道と重なる国道372号沿線地域を「丹波篠山歴史街道ゾーン」と位置づける
(2)多紀連山O2(オーツー)の森ゾーン 三嶽を主峰とする多紀連山および、弥十郎ヶ岳を中心とする「多紀連山県立自然公園」指定地域を「多紀連山O2の森ゾーン」として位置づける
(3)グリーンシャワーと秘湯の里
羽束川上流の籠坊温泉、猪名川渓谷県立自然公園に指定の地域を「グリーンシャワーと秘湯の里」と位置づける
(4)緑と水のレクリエーションゾーン 篠山盆地を取り巻く里山的景観を有する地域を「緑と水のレクリエーションゾーン」と位置づける
4丹波篠山歴史街道の拠点
▽歴史と文化の十字路としての特性を生かす3つの拠点地区
(1)ふれあい交流拠点地区 町の東部、車塚古墳、福住集落など山陰旧街道の町並みなど歴史的景観が見られる篠山のあけぼのを象徴する地域
(2)田園街道拠点地区 “丹波の祇園さん”として親しまれている波々伯部神社、ハダカガヤで知られる磯の宮八幡神社、名城・八上城跡など数多くの 歴史資源、伝統的な祭りが残る篠山の中世を象徴する地域
(3)歴史と文化の郷拠点地区 篠山城跡を中心に広がるやすらぎの城下町は、近世以降の篠山を象徴する地域
「丹波篠山歴史街道」は、先人から受け継いだ歴史・文化を継承し、丹波篠山の特性を生かす個性と魅力の光るまちづくりを推進するため、地域住民が地域の歴史に興味をもち、誇りがもてる住民参加の歴史街道「循環型の連携交流街道」づくりを進めます。
5今後の課題として
篠山町の歴史街道整備プラン推進のための今後の課題は、次のとおりです。
(1)住民・企業参画による検討の推進 歴史街道は住民皆さんが地域の歴史に興味を持ち、誇りが持てるまちづくりへとつながるように、計画づくりの段階から住民参加による意見交換や提案などを出し合う「ワークショップ方式」で検討することが大切です。
(2)庁内調整組織の設置 歴史街道計画は、建設、都市計画部門以外に、土木、農政、林務をはじめ、教育委員会(文化財・社会教育・学校教育)等、広範囲にわたります。そのためにも、計画内容の調整や推進に向けた庁内組織の設置が必要です
(3)関係機関との調整 歴史街道計画の対象には、国道や県道をはじめ、国・県が所管する施設等があります。したがって、国や県の協力が必要です。また、周辺自治体との連携は当然必要で、計画全体の調整が不可欠となります。
(4)プロジェクトの検討と推進
歴史街道をつくりあげるためには、計画内容を広く情報発信することが大事なことです。また、核になるような取り組みは早い段階で検討し始めることが必要です。散策路、案内標識など歩行者に対する移動手段のていねいな充実が重要となります
以上の4点をあげることができます。
(3)
ふるさと新発見伝14


―歴史街道散策編―

好きです篠山 私も「歴史街道」を応援しています


今月号は、篠山町の「歴史街道」を歩いてみましたのでレポートします。コースは、篠山町東部・安口の「関所橋跡」から国道372号沿線の旧道を経由して、市街地・河原町、そして城下町線の散策道のところまで。
今回は「歴史街道」レポートの前編です。


篠山町は、東は京都府、南は大阪府に続いています。古くから山陰道の要衝の地として発展し、中世には八上城が、近世には天下普請の篠山城が築かれ、丹波一円を統治した舞台に。特に、篠山城を拠点とする市街地形成に、そして人々の暮らしの中に「歴史の十字路」となり大きな役割を果たしてきました。
この山陰道によって影響を受けた篠山には、城下町、武家屋敷、宿場町、商家など今もなお、その時の歴史を刻んだ名所が数多く残っています。
そこで、今回は、古代から山陰道・丹波の入り口であった篠山藩領の東の宿場町・福住(昔は「福泉」とも書いた)から、篠山城築城に伴って形成された市街地の町並み・河原町までの旧街道をたどり、歴史のまち・篠山の名所を訪ねてみました。
まだまだ紹介しきれないほど、たくさんの史跡・名所を訪ねることができました。すべてを紹介できなくて残念です。いつも何げなく通っている所に、歴史(由緒)ある名所がこんなにもあるのかと大変驚いています。
何も知らなかった私が今回、旧街道をレポートすることで、昔の篠山に少しでも近づけたと思っています。そして後世に語り伝え、歴史の道しるべを残していくことの大切さを「歴史街道」に沿って学ぶ中で、一層篠山への愛着が生まれてくるものだと実感いたしました。
1)関所橋(川)
安口東公民館の東隣りを南北に流れる川の呼称であり、旧山陰街道に かかる橋を「関所橋」と呼んでいる。この橋を境に、東へは亀山藩領(現亀岡市)であった。安口そして、西に向かって川原、福住へと進むと、街道沿いに草葺きの妻入り民家の町並みが残っている。

(2)住吉神社
県立篠山産業高校東雲分校前の旧山陰街道をはさんで向かい側に、永保元年(1081)に大江匡房が住吉大社から分霊を勧請したものと伝えられる「住吉神社」がある。 この付近は、もと川筋であったので災害防止と豊作を祈って創建されたという。 7月31日の祭礼には、5台の山車が宮入りし、町無形文化財の「打ち込み囃子」が奉納される
国里正子さん(川原)に母屋の北側に造園された「住之江の庭」を案内いただいた。この庭園は、昭和41年(1966)、庭師・重森三玲師によって造られた枯れ山水の石庭で、四国の蓬莱仙島に見立て、3段階の大波を白川砂で、また竹垣によって網干しを表していて見事な工夫がされている。

(3)福住「一里松」
篠山城築城の際に、旧山陰街道に沿って1里(約4q)ごとに松を植え、一里塚としたもので、福住の一里松は篠山城大手門より3里目に位置する。現在、この松は新しく植え替えられている
(4)安田の大杉
国道372号と国道173号が交差する地点には、丹波最大の大杉がある。通称「甚七森」と呼ばれ、住吉神社の末社・貴船大明神の境内を覆うようにこんもりと繁っている。推定樹齢700〜800年、幹回り8.5m、高さ31m。県天然記念物ともなっている。
(5)小野駅跡
飛曽山峠手前、小野新あたりに、平安期に制定された「延喜式」による旧山陰道の小野駅があったそうだ。
小野駅には、8頭の駅馬がおかれており、 駅では駅長が統括して、官用の駅使などのために、休息・宿泊や乗り継ぎ等の便宜を図っていたらしい。付近の二之坪という地名は馬糧地の「一の坪」「二の坪」「三の坪」の名残であるとの説もある。

(6)波々伯部神社
京都・八坂神社の分霊を受けたというこの神社は、承徳2年(1098)
波々伯部村の田堵(自作農民)13人が、25町
8反余の田地を祇園感神院(八坂神社)に寄進し、荘園・波々伯部保となった際に勧請したとされ、丹波の祇園さんと呼ばれている。ここには、町指定文化財である薬師三尊懸仏「月下芦雁図」や青銅鳥居が残されている。また、この地点は、篠山城から数えて2番目の「一里塚」となっている。

(7)六本柳
国道372号・上宿の街道沿いに、1本の大きな柳の木がある。この柳の下で、 旅人が小休止をとって疲れをいやしたという。もともと6本あったので「六本柳」と呼ばれている。仏教で大切にする「六」の数にちなんで6本が植えられたのだという。
(8)八上の一里塚
篠山城から数えて最初の一里塚。ここでも、史跡を後世に伝えるための新しい松が植えられている
沿道で畑仕事をされていた宮城愛子さん(八上内)は、観光客の人たちが八上城の歴史やお祭りについて、よく尋ねられるのだそうで、「ハイキングコースはどれくらいの時間がかかるのかとか、頂上まで車で行けますか」などと尋ねられ苦笑いすることもあるとか。地元の人たちと観光客が素朴にふれあえる姿がよく見受けられる。

(9)重兵衛茶屋
播磨街道と山陰街道の分岐点となる地点。江戸時代、参勤交代のためこの地を通る大名をはじめ、旅人が一服してひといき入れる「休憩所」であった。そのころの建物が一部残っており、町指定文化財となっている。街道のにぎわいが伝わってくるようだ。
(4)

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