1999年1月号

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伝統が生きるデカンショのまち
篠山町ホームページのアドレス
http://www.town.sasayama.hyogo.jp/


1999年の新年を迎え 健やかな1年であることを願って

力強く邪気を払い にらみを利かす「獅子舞」とは
獅子頭をかぶって舞う民族芸能のことをいう
獅子に頭を噛んでもらうと頭痛も治り 福をもたらすとか
そして獅子二頭による勇壮な「神来舞(しぐるま)」は
五穀豊穣 悪魔ばらい 無病息災 家内安全を願う

   600年の歴史を伝えて現在に生きている「獅子舞」
篠山町は「市」となり 新たな歴史を刻んでいく変革の年を迎える
そこに立ち会う我々も 獅子のように力強くありたいと願う

 
(1)

1999年4月1日から「市制」施行でいよいよスタート
新春対談
去る12月5日、郡内4人の町長による「信州対談」を丹波杜氏酒造記念館に於いて実施いたしました。
本号は、合併元年の1999年新春を迎えるにあたり、各町長から皆様の元へ熱いメッセージをお届けします。

出席者
篠山町長 瀬戸亀男・西紀町長 森口武治・丹南町長 杉本幸男・今田町長 大上恭平
司会(多紀郡4町合併協議会事務局長) 上田多紀夫
将来のため 心一つにして…
上田 ようやく合併がやり遂げられる時期にきています。現在の心境はいかがですか。
森口 過去5回の合併協議が成就しなかったことを考えると、感無量です。多紀郡は1つにという機運の中でここまで来れたと思います。また、当初、無理だとあきらめていた「市制」で立ち上がる見通しもついて喜びもひとしおですね。
瀬戸 何よりも難局を乗り越えられたのは、4町長が協調して大きな課題を解決していこうという気持ち、将来ビジョンはこれしかないという信頼関係の積み重ねがあったからだと実感しています。
杉本 ただ単に合併調整が忙しかったということより、気持ちのうえで忙しかったというのが正直な印象ですね。
大上 一言で言えば、「本当によかった」と思っています。多紀郡の中で共通課題があり、なかなか難しい問題もありましたが、ようやくここにこぎつけました。
上田 今回、合併へのきっかけは、議会発議からですが、当初、町長会としてはどう受け止められていたのですか。
森口 北摂丹波の祭典・ホロンピアが成功したら、次のステップは合併の話になるだろうと思ってきました。悲願であったJR福知山線の複線化も実現して、大きな仕事を成功してきた流れがありました。
上田 祭典当時は、瀬戸町長は議会におられましたね。
篠山町長
瀬戸亀男
瀬戸 平成4年8月に、議員の研修会で当時の新家篠山町長が「多紀郡の課題と将来」という提案をされた。それを受けて、議会でも町長会でも研究・協議を重ねて、出発のときは一緒であったと思います。
上田 合併すれば、町長は1人ですし、議員定数も半分以下になるわけですが…。
大上 基本的に自分自身の保身よりも、将来の多紀郡をどうするかを考えましたね。4人の町長が意思統一してこれたというのが何より大きいです。
杉本 農業共済をはじめ、広域的な事業・JRの複線化など、4町の負担割合(=町村会割・篠山5、丹南3、西紀1、今田1)について議会での結論が示されたこと。郡1本になれば大きな事業もできるという自信がつきましたね。

4町の個性が生かせるように
上田 これからのまちづくりに、これだけはと、強調されることをお話しください。
西紀町長
森口武治
森口 西紀町は過疎の町で、行政施策への関心は特に強いものがあります。今のままのへき地だったらよくならない。合併して、活力をつけること、へき地に焦点づけて、全体をよくする考え方できました。
瀬戸 篠山町も同じです。厳しい財政状況が醸し出される将来のまちづくりですが、財政力をしっかりと保ちながらバランスのとれた市街地と周辺整備の方向づけが、政治の基本姿勢だと思っています。
上田 今田町ではいかがでしたか。
大上 今田町では、中心地から離れていても決して遅れているとは思っていません。またその気になってはいかんと言ってきました。合併した中ではうまくいくと信じています。
瀬戸 過疎には過疎のよさというものを逆手に出して、生かしていくべきだと思いますね。
上田 4町の特性を生かすまちづくりということでしようか。
杉本 町のよさを出していくとすれば、支所機能の面が重要です。最先端で住民皆さんの意志や考え方が聞けますから。もちろん、いつまでもという形ではなく、財政的に破綻をきたすことにならないよう、時代の進展とともに徐々に整理が必要だと思います。最初の出発は、広域連合のような考え方で、支所機能の充実をしていくべきですね。今はまだ顔を見て話ができるという安心感、対人関係が必要です。
ある哲学者が、「地方自治は人情と人情のあがなえるアヤである」と言ったことを思い出します。血の通った行政を市になっても忘れてはならないということですね。

民意を尊重してきた合併協議
上田 合併協議はどのような思いで進めてこられましたか。
森口 スタートしたときには、もっと情報公開をという声がありました。しかし、議員は住民代表として選ばれた人です。議員発案を受けて進めてきたことが、よかったと思っています。
瀬戸 1回の協議会で結論を出したわけでなく、協議項目を提案し、各町へ持ち帰り、各町の研究会で検討・協議を重ね、1カ月間の議論を重ねたうえで、結論を出したり、なお継続にしたりしながら、あくまでも対等に進めてきたのですから。民意を尊重して、対等に進めてこれたという意味から成功したといえます。
上田 各町それぞれに大きな課題がありましたが、その点は?
大上 「町名」を決めるときに、一部「『篠山』という名が入ることにより、何となく篠山に吸収される」という空気を感じてきましたが、全国的に丹波篠山で通っているので、私自身はあまり心配しなかったですね。
丹南町長
杉本幸男
杉本 住民説明会や協議会等の中で白熱した議論の場面が多くありました。その過程で、じっくりと話し合うこと、ディスカッションの大事さを再認識しました。いわば議論を尽くして今日を迎えています。
瀬戸 住民皆さんは、合併に関心がないのではなく、関心を持ってもらうような方向づけが大事でした。今後とも、地域でまち(むら)おこしのための意見交換を積み重ねていただくことが、これからのまちづくりの方向だとすれば、自ずと「市制」への関心も生まれてくると思います。
大上 その意味では、住民生活の底支え、後押しといったことが大事だし、住民生活の流れを敏感にとらえる行政のきめ細かな配慮が求められると思います。
杉本 行政に携わる者は得てして「生殺与奪」の権利をもつような錯覚がありがち。人々の社会生活のうちの一部分に携わっているのであるという認識をもたねばならないと思います。
森口 道路整備はもちろん必要ですが、将来は、巡回道路にして町営バスを環状線的に運行ができないかと思います。
今田町長
大上恭平
大上 試行していますが利用が少ないのが現状です。路線バスのあるところでは「無料」運行は難しいことも現実ですね。
杉本 大手スーパーに福祉バスが運行でさないか検討を願っています。将来、民間との連携も必要となるでしょう。
瀬戸 現在、朝夕だけ通学バス3台を運行していますが、昼間の時間帯の運行もできないかと調整をしています。しかし、なかなか難しいようです。合併後はアクセス道路と交通機関の充実が課題ですね。

「市制」への期待を込めて


上田 最後に、「市制」施行に向けて一言ずつ述べていただき、本会を閉じたいと思います。
瀬戸 立ち上がりから市になるのなら大賛成だとの声を多く聞いてきました。その意味では、「市制」施行が展望を拓くものと確信しています。
杉本 市になれば、今までのイメージが変わると思います。全国的に注目されるモデルケースですので、個性を大事に生かしたいものですね。
大上 多紀郡の特色は豊かな自然です。丹波の森構想の理念をこれまで同様に、施策の根幹に据えたものであるべきだと思います。
森口 合併しようということと、市になる要件が整ったという二重の喜びがあります。今、多紀郡は元気なまちの第1号だと胸を張りたい気持ちです
(2)
  11月16日〜21日 トライやる・ウィーク
中学2年生が 広報「ねんりん」の紙面づくりに悪戦苦闘
11月16日(月)〜21日(土)の6日間、篠山中学校、篠山東中学校の2年生、365名が町内の各種事業所等に通い「地域に学び、仕事の体験活動を通して、新たな教育の創造をしょう」と、「トライやる・ウイーク」が行われました。
これは、兵庫県教育委員会が今年度から初めて提唱・実施した事業(課外授業)で、学校・家庭・地域が手を取り合って、子どもたちを育ていくことをねらいとしたもの。6日間の短い期間とはいえ、中学生にとっては、地域で、さまざまな仕事の分野を身をもっ
て知ることで、人との出会いやふれあい、そして未知の体験学習ともなって、すぐれた学習機会が得られました。
この機会に、広報「ねんりん」(役場企画課)も指導ボランティアとして登録させていただき、受け入れをいたしました。広報紙の作成業務には希望した中学生9名が参加。生徒たちは、2班編成で広報紙の紙面づくりに挑戦しました。取材や原稿作成など、悪戦苦闘して取り組んだ手作り作品を紹介させていただき、トライやる・ウイーク (体験学習)の成果を確かめてみたいと思います。
◆ステッキーズ◆ ゆかいでステッキなおじさんの心にふれて
二の坪の杖おじさんこと、谷舗勝美さんを訪ねました。谷舗さんは、なぜ杖を作始めたのか、大変なことは何か、杖に対する思いなど、いろいろと愉快に話をしてくださいました

きっかけと杖に対する思い
二ノ坪の谷舗勝美さん(71歳)を訪ねました。杖を作り、毎月役場に寄付していただいています。65歳の時に杖作りを始めて、もう6年が過ぎたと言っておられました。作り始めたきっかけは、県守・西尾元治さん(88歳)が、つつじの木で作っておられた杖を役場に持って行かれたことからだったそうです。谷舗さんは、前々から町民の皆さんのために、何かを尽くしたいと思っていたそうで、西尾さんの行動に刺激されて、杖を作りかけました。
「もう、1,900本にもなる」と言われていました。すべて、ご老人たちのために作っているのですが、まだ、町内のすべてのご老人たちに行き渡ってはいません。木や竹の杖は、魚釣りの竿にも使えるらしく、それを目的に持って帰る人がいるようなのです。
「そんなつもりで杖を作ったのでは、ないんやけどな」と、谷舗さんは悲しげに言われていましたが、「こういうふうに、人のために何かしている姿を少しでも見習ってほしい」と明るく話してくださいました


杖を作るにあたって

杖の元になる木や竹は、近くの山や河川に行って、倒れている木や、通るのに邪魔な竹を見つけ、よい部分を切り取り持ち帰ります。その他いろいろな人から木や竹をもらっているそうです。
夏は、あまり木を切らず、冬に切ります。12月に切ると強い杖ができます。杖といっても、木の杖と竹の杖があり、夏は木の杖を作り、冬は竹の杖を作ります。なぜかというと、木の杖はヤスリで皮をむいたらいいだけですが、竹は火であぶって油抜きをしなければならないので、夏はその作業が熱いため冬にやっているそうです。油抜きの方法は、火で何秒かあぶります。すると黒い汁が浮さ出てきます。これが油です。すぐに火から出して、すばやくタオルでこすります。これをしないと腐ってしまいます。
夏作る木は、主につつじとこぶしの木です。つつじの皮はむきやすく、こぶしの皮は分厚いので難しいです。しかし、こぶしは乾くと真っ白になってとても軽くなるので人気があるそうです。初めのころは、杖をつくとき先が削れるのでパイプをはめたり、腐るのを防ぐためと、見た目をきれいにするために、つや出しスプレーを使ったりしていましたが、作る数が多いためや、お金がかかるため止められたそうです。
そうして作った杖を毎月、5・60本ぐらいは役場に持って行かれるそうです。

自分のことより人のために

杖作りは、忙しくとても体力のいるしんどい仕事だそうですが、楽しんで取り組んでおられるようです。この谷舗さんの善意が伝わり、今まで杖を使われた人から、お礼の電話が5件もかかってきたらしいです。「それが目当てではないんですけどね」と谷舗さんはうれしそうな顔で言われました。
谷舗さんは、「人のためになるし、10年間は杖作りをやっていきたいですね」と言われていました。因っている方々のために、何かでさることはないかと、杖作りを一生懸命続けておられる谷舗さんの姿を、私たちも見習っていかなければいけないのではないでしょうか
役場丼活気あふれるまちづくりをめざして
後川コミュニティ活動推進事業実行委員会の役員の倉昌さんを訪ねました。
後川では、地域を活性化させるために、さまざまな行事を行っています。

みんなで取り組もう!

倉さんは、心がなごむようなまちにしょうとしています。例えば、田んぼの土手や、道路のわきに花を植えたり、遊具のペンキぬり、みんなでお金を出しあって、ぶどうを植えたり、などです。
それに、8月2日には、川の整備がありました。大体の川は、両端をコンクリートで整備してありますが、後川はまだ、自然のままです。だから、みんなで協力して、500bぐらい、きれいにしました。
「だれかがしてくれるだろう、ではなく、みんなでやることが大切です」と言われました。

ふれあい活動

後川には、祭りという祭りがありませんでした。そこで、倉さんは地域の子どもたちが「都会の大学とかに行くようになっても、ふとまぶたを閉じると後川が浮かんでくる、そんな地域にしたい」と思われて、祭りを企画されました。特に今年は村のみこしを完成させて、より一層祭りを盛り上げていきました。ほかに、村の人たちがおでん・焼そば・トウモロコシ等がふるまわれ、○×ゲームやクジの入ったもちがまかれて、用意されていた景品交換をするなど、楽しい祭りが行われました。
また、今年の10月25日に、後川側の弥十郎登山道(竹谷コース)の整備とふれあいの集いが行われました。
午前8時30分から登山道整備をされて、木を切ったり、滝がある場所の橋が腐っていたので新しくかけかえたり、看板を715bの頂上に立てたりしました。11時30分からは女性団体の方が用意された昼食を食べた後に、ビンゴゲームが行われました。
午後1時からは約40人が登山に参加して、途中で若い人がご老人を補助しながら登山するということがあり、無事終了しました。

守ろう!私たちのふるさとを

平成7年度から、地域の人たちが月に1回、多いところでは2回ごみ拾いに取り組んでいます。100人あまりの人たちによって『ふるさとを守る会』が結成されて、ごみのない後川づくりをめざして、がんばっています。
後川の峠には、古くなつた洗濯機、テレビなどが捨ててありました。車やタイヤもありました。タイヤは業者が引き取ってくれないので、お金を払ってまで引さ取ってもらいました。こういう地域の人たちの協力によって、とてもきれいになりました。不燃ごみは、軽トラックに3台分ほど集まりました。
拾っても、拾ってもまだ、ごみを捨てる人がいます。だからごみが、なかなかなくなりません。しかし、みんないやな顔一つせずがんばっています。倉さんは、「拾うのも、もちろん大切だけどその前に、捨てない人になってください」と話しておられました
不法投棄はやめて!と町をあげて環境美化活動

奥山さんは現在、篠山町保健衛生推進協議会の会長をされ、日常の家庭ごみ排出(収集)など、定期的に決められた町民生活上のルールが守られるよう、各集落(町内会)衛生委員さんとの連絡調整を図りながら、暮らしやすい環境づくりのために活躍されています。
奥山さんは、今日特に、大きな社会問題となっている環境破壊の問題を言われます。それは、心ない人たちによる「不法投棄」です。現在、町と一緒になって、「不法投棄をやめよう!」とマナーの大切さを呼びかける看板の設置や、環境パトロールをされていますが、一向に変わらないのが現状だということです。
不法投棄があまりにも悪質なところは、福住・天王峠、大芋・板坂トンネル付近の府県境。不法投棄の中には、大型ごみ(廃棄された軽トラックや家電製品など)があって、良識を疑います。最近では、交通量の増えた国道173号や町内の幹線道路の沿線に、空き缶やタバコのポイ捨てが多いとも。奥山さんは、「ドライバーのマナーの悪さに困り果てる」と嘆かれていました。

イタチごっこの清掃ボランティア

町内での「不法投棄を一掃しよう!」と、不法投棄撲滅キャンペーンを兼ねて、地域の総代会や婦人会、PTA、ライオンズクラブなどで、定期的な清掃ボランティア活動が行われています。
奥山さんは、「ボランティアの皆さんが一生懸命『空き缶』拾いや川の掃除をしても、ポイ捨てする人たちが一向に減らないため、イタチごっこですよ」と苦笑されます。
毎年6月の第1日曜は、篠山町の「ごみ一掃クリーン作戦」として定め、清掃活動が取り組まれています。この趣旨は、地域住民が「自分たちの住むふるさとを自分たちの手で美しく守ろう」というものだそうです。地域の人々が力を合わせて自分たちの居住空間を美しく保とうとされているのに感心しました。
中学校でも、先生や親たちと一緒に、毎年何回かの廃品回収をしています。
各家庭から出される新聞や雑誌、衣類、鉄、アルミ・スチール缶などがたくさん集まります。これらの作業を通して、ごみを減らすことやリサイクルの大切さを学んでいます。奥山さんがお話しになった町をあげての環境美化に、私たちも少しでも役に立てるよう積極的に参加していきたいと思っています。
(3)
ふるさと新発見伝19 


家族だんらんで迎えるお正月のために
 見直したい よき伝統とふるさと料理



今年も残すところあとわずかです。そこで、お正月を迎えるにあたり、昔から代々伝えられてきた家庭の風習(伝統行事)について、今も続けておられる篠山町市野々・村山茂子さんにお尋ねしました。
また、同・梶屋富子さん宅に集まられた方々と共に、懐かしのふるさと料理(家庭料理)を調理・試食しながら、お話を伺いましたのでレポートします。

12月に入り、日々の寒さが増すごとに山々の紅葉も落葉し、冬支度を急ぐ時期となりました。
去る12月3日、梶屋さん宅へお訪ねしたとさは、少し曇りがちの肌寒いお天気でしたが、家を取り巻く山々の自然はまだまだ紅葉が美しく、晴れていたら素晴らしい景色だったと思いました。

家庭の伝統行事にふれて
この時期、どの家庭においても、年末からお正月のことを考えられるのではないでしょうか。
私が梶屋さん宅に到着したときには、もうお友達の方々が集まられ、料理の準備にかかっておられました。
懐かしの料理を作っていただきながら、そのかたわらで、同じ地区にお住まいの村山茂子さんに冬季の伝統行事について、お話を伺うことができました。
村山さん宅では、11月に入ると「亥子(いのこ)のぼたもち」といって、11月の亥(干支でいういのしし)の日、それもその月に3回「亥の日」があれば、中の日(2回であれば初めの日)に、朝から「ぼたもち」を作り、一升ますを神棚にお供えします。昔なら、臼(うす) に、今では籾すり機に米の豊作を感謝する意味でお供えされているそうです。
別名「亥子の餅(もち)」ともいわれ、五穀豊饒(ごこくほうじょう)を祝う収穫祭の意味があり、県内各地はもちろん、西日本一帯で広く行われているそうです。「春来て秋に帰る」と考えられる「亥の神」「田の神」の労をねぎらう「神送り」の行事でもあるそうです。

伝統にはそれぞれの意味が…
12月1日には、「オトゴツイタチ」と呼ばれる伝統行事が。朝早くから赤飯を作り、神様にお供えして、家族全員が「赤飯となすびをカラスが鳴くまでに食べる」という言い伝えによって行われているそうです。
この「オトゴ」とは、「乙子」と書き、末子の意味があり、昔はナスの漬物を食べないと「水難に遭う」とか「川にはまる」などといわれていました。どうも、ナスの漬物は一種の厄よけで、古くはナスが毒消しに用いられたことから転じたものらしいです。
そして、いよいよ年末からお正月です。元旦の朝のお供え物として、「宝來(ほうらい)さん」(=「宝來飾り」ともいう)のお飾りを年末に作られるそうです。これは、一年間の家族への感謝と平和に暮らせるようにと、新年を迎えるにあたり、家族で祝う最初の行事となります。
村山家では、床の間に供え、家族が新年のあいさつをしてから「恵方」(「吉」方角)を向いて、昆布茶をいただかれるようです。

一足早く試作「宝來さん」
ところでこの「宝來さん」は、三方に半紙を敷き、向こう正面にウラジロを置きます。その両端には山形に高く盛った「とうじ豆」を置き、真ん中には水引のかかった松の枝と橙(だいだい)をのせます。そのほかは、みかん、ごまめ、干し柿、勝栗、昆布、ギンナン、糎(かや)の実などを家族の人数分のせます。
どれも新年を迎えるのにふさわしい縁起物ばかりです。「宝來さん」は、地域や家の伝統によって、呼び方やのせるものも違っているようです。
この「宝來さん」に出てくる「とうじ豆」ですが、白豆と黒豆をいって、もちをみずでとろりと煮溶かし、砂糖を入れたものでからめて山のように高く盛り固めたものです。これもこの1年、まめに暮らせますようにといただくようです。
村山さんは、「お正月は、早くからカーテンや窓を開けないょうにしています。開けると福の神が逃げていきますから」と言われていました。このように、昔からの言い伝えや、伝統行事は書いたものがあるのではなく、代々見よう見まね、口伝えで覚えてこられたそうです。

懐かしの手作り料理を前に
今回、梶屋さん宅でお話を伺っている間に、「ぼたもち」や「白あえ」「カボチャの従兄弟煮」「赤飯」…と、懐かしい家庭料理をたくさん作っていただきました。その中には、手製の箸袋や、我が家のかくし味で作られた品があったり、山の芋を使った「コロッケ」を持参くださったりと、最近失われつつある心のこもった「おふくろの味」を前に、とてもおいしく楽しいひとときを過ごすことができました。
近年は、核家族化し、またスーパーなどで手軽に買うことができる時代です。だんだんと簡素化もされ、古くからのよき伝統を伝える人も少なくなってきました。
今回の取材では、集まられた皆さんの世代を超えてお話を伺うことができました。特に、代々伝えられてきたよき伝統文化にふれることがでさました。簡素化の時代にある今日、学ぶべき伝統文化のよさを取捨選択していく生き方もまんざらではないと強く感じました。
(4)

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