「篠山町」では最後の第19回篠山ABCマラソン大会
天 も 泣 い た 涙 雨
あいにくの雨模様となった 3月7日篠山ABCマラソン大会
遠路各地からの皆さんらは 意外に楽天的な表情が目立つ
吹き降りのコンディションはよくないけれど
走りはじめれば 体もポカポカと温まってくるらしいとかで…
’99年篠山ABCマラソンも 「篠山町」では最後の大会
降りしきる天を仰ぎみれば 町の名を惜しむ涙雨に思えた
さようなら「篠山町」 そして「篠山市」へ その名は変わる |
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篠山町政24年間を振り返って
―歴代町長は語る!―
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広報「ねんりん」も273号をもって最終号となります。今日まで、皆様に愛され、励まされながら編集に専念できましたことを心から感謝いたしております。
さて、最終号の特集は、歴代篠山町長を訪ね、篠山町の歴史を刻んだ1975年からの24年間の歩みをそれぞれの立場で振り返っていただきながら、新たな篠山市政へ向かっての一言をいただきました。
- 「人心収攬」を第一に力強い篠山市政の展開を願って 藤井正一さん
- 個性と特性を最大限に生かした元気な市政を望みます 新家茂夫さん
- 心一つに「愛と創意による共生のまちづくり」を篠山市へ 瀬戸亀男さん
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新生・篠山町の基盤づくりのために取り組んで
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第14代篠山町長
藤井 正一さん |
公職在任中の1975年3月、東部3町合併の実現を見た経過があります。多紀郡の一本化が不成立となった直後でした。
合併は「もろ刃の剣」。プラス面ばかりではありません。少々の財政的な窮迫を捨ててでも、新しいまちづくりのため、市民のための行政執行が大事なことでしょうね。合併前の各町行政間の約束事、未知なるものへの住民の期待を裏切らず、人心収攬(=人々の心をつかむこと)が第一に求められてきます。
私の場合、1975年の合併当時には、城東・多紀地区に努めて出かけていました。財政力の違いはあっても、赤字にしないで寄ろうとの共通理解以外、条件はなかったと思います。
合併して良くなるためには、住民各位の協力と共に、率先してまちづくりを進める市長と議会の関係が最も大事なことです。
この度の4町合併は、4人の町長の決断はもとより、議会の先行的な合併協議が功を奏したものと見受けます。かつての例では、公共料金などの住民負担は安いところに、行政サービスはどこでも同一にというまでに十年を要しました。その間、厳しい地方財政危機もありました。心配事は尽きないと思います。
1970年、町のマスタープランに「下水道整備」を掲げ推進しました。当時、反対の声もありましたが、議会の協力を得て断行しました。東部3町の合併で、財政規模が大きくなり、国・県の事業実施に対する採択が得られたためでもありました。
観光事業面は、民間活力で、観光政策は行政でという振り分けをして、デカンショ祭や、篠山名物・ボタン鍋などが定着。イベントは、篠山城ロードレースが篠山ABCマラソン大会に発展、春日能の実施など、味覚・スポーツ・観光、美しいまちづくりを進め、現在へ発展継承を遂げています。ひとえに篠山人の豊かな心が創りだす土壌が原点だからだと思います。
行政は、価値観の変化に柔軟な対応が求められること。また、自然保護の大切さと、開発をしないという意味とは同一ではありません。自然と共生する開発の方向を思索するべきでしょう。100年先は見えませんが、5年後10年後を見て、行政のやるべきことが肝要ですね。
市制施行の最初が肝心です。将来に向かって全力投球をしていただきたいと希望しています。
財政再建を端緒に、新たなまちづくりを形成
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第15代篠山町長
新家 茂夫さん |
多紀郡合併が過去5回も不成立となった経過を踏まえ、数々の教訓を得て、真剣で前向きな構えが生まれていました。まさに不退転の決意がありました。
そもそも、この度の合併論議の発端は、1992年8月、「多紀郡の当面の課題と将来の展望」と題した郡内の議員研修会で問題提起を行ったのが始まりでした。もちろん、それまでから多紀郡には広域課題が続出しており、郡域で一丸となって取り組むことの必要性や、町域を超えて行うべき基盤整備の課題が多く出ていた背景がありました。
その議員研修会においては、(1)丹波の森構想の推進(2)福知山線の複線化
(3)土地利用計画の策定 (4)水資源の確保(5)生活排水処理計画(6)斎場建設計画
(7)国立病院対策(8)篠山養護学校の建設(9)都市と農村交流拠点整備など、当面する課題をどうするのかという議論の過程で、4町共通の課題が浮き彫りとなり、多紀郡合併問題が浮上したのでした。
1994年8月、「合併研究会」を設置しようとする時期、「合併をするのか、しないのか」の段階ではない、合併の必然性、時代の要請もあるとの考え方で、合併実現に向かっての研究が必要だとしてきたのも事実でした。
過去の例から見るとき、1975年の合併時は、篠山町の基盤づくり、住民意識、希望や期待に答えるべきことが主体でありました。合併時の町財政が脆弱な構造下にありながらも、新町に対する住民の希望、期待は大きく、新町の基盤づくりのために各種事業が積極的に推進されました。その結果、1981年からの時代は、深刻な財政危機に直面しました。
就任時、財政の立て直しが最重要課題でしたので、第4次財政健全化計画の実行を命題として取り組み、町全体が痛みに耐えながら、ようやく健全化が果たせていったのであります。
やがて、「篠山町はすばらしい」という誇りと自信をもって、自然、歴史、文化、生活、生産、そして資源、これらを生かしたまちづくり「ふるさと日本一の丹波篠山づくり」を目指して、
(1)JR福知山線の複線化電化(2)「北摂丹波の祭典」の成功
(3)兵庫医大篠山病院の誘致など 多くの成果をあげてきました。
篠山市にとっては、なお広域課題ほか、中長期的なプロジェクトが目白押しとなっています。当初から、期待と信頼の得られる議会運営を期待しています。
人口47000人のため、福祉の向上のために、個性と特性を最大限に発揮していく、また心を一つにして夢や希望のわく、元気な市政の展開を望みます。
完成度の高いまちに成長、篠山の二十四年間
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第16代篠山町長
瀬戸 亀男さん |
私は、1975から5年間、篠山町教育委員として在職以来、1996年からの現職在任に至るまでの印象に残る時代を振り返りますと、昭和50年(1975年)代は、財政的に厳しい時代背景があり、農業施策に重点が置かれた時代。1988年には、北摂丹波の祭典「ホロンピア88」を契機に、注目を浴びた年代。町政を預かる近年は、「国立病院問題」と経営移譲、教育・歴史文化の面では、篠山城大書院の復元建築工事の着工や、統合中学校の完成などがあげられます。
広域的には、JR篠山口橋上駅舎・西口駅前広場の完成、そして何よりも多紀郡の合併問題が具体的に法定協議会の設立で前進した時期でもありました。
「愛と創意による共生のまちづくり」を基本理念に、可能な限り町民皆さんの声を吸収して、交流する機会を重ね、町政に生かすことに努めてきました。
町民皆さんと真摯に話し合いを重ねてきた3年間が私の基本姿勢だったと思っています。
篠山町は、議会のご理解のもと、町民皆さんの心を一つに個性を伸ばし、地域の良さを大切にしてこれたと自負しています。
具体的には、地域の小さな単位の村づくりから、町を代表するイベント(デカンショ祭や、丹波篠山味まつり、篠山ABCマラソン大会など)を通して、「地域の活力、自分たちの地域をどうするのか、住むところを良くするために」という取り組みの一つひとつを積み重ね、人と人とを結ぶ相乗効果となってまちづくりが広がってきました。
篠山特産の丹波黒大豆の「枝豆」を例にとれば、農家、農協そして、加工業者、商工業者、流通・観光などを含め、一つになって独自産業を完成された姿はまさに地域の活力が手を携えた結果の集大成そのものです。
デカンショ節100年、ふるさとに対するイメージ(景観・自然・歴史あるたたずまい・伝統文化)、盆地特有の気候風土にあって守り育てられてきた土と特産。さまざまな角度からみても完成度の高いまち篠山が形成されてきたと思っています。
成熟社会にある現在、篠山市となりましては、「安心・豊かさ・人と人とのふれあい・都市と農村との交流」など、「交流」をキーワードに、多紀郡4町の個性の伸長、一つになって新しいまちを創る相乗効果に期待をして、一層の発展を目指さねばなりません。篠山市の将来に、限りない可能性を信じ、篠山町23000人の願いと期待を届けてまいりたいと思っています。
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ふるさと新発見伝22
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1998年度、街かどレポーターとして活躍いただきました4人の皆さんから、それぞれ一言ずつ感想を述べていただきました。今回の各レポーター皆さんからのメッセージをもちまして、広報「ねんりん」街かどレポートの締めくくりとさせていただきます。
長年、本コーナーのご愛読ありがとうございました。
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篠山市へつなぐ「街かどレポート」へ
篠山市になりましたら、行政区域(約377平方キロ )が大きくなります。その分、「市長の顔が見えにくくなる」、「行政サービスが低下するのでは…」と心配がつきものです。これら不安要素を解消する意味でも、さまざまな行政情報が「市内」のすみずみまで届くよう細心の配慮が求められます。当然、市の広報紙も、住民皆さんと行政をつなぐパイプ役として、その役割が一層増してくるものと痛感いたしております。
中でも、広報紙の「街かどレポート」のコーナーは、町民皆さんの身近な暮らしと行政をつなぐ位置づけで、町内外から、ふるさと篠山に対する愛着、郷愁の思いなどのお便りを寄せていただくほどに親しみのあるコーナーとして定着してきました。
篠山市になりましても、この「街かどレポート」(仮称)の継続はもとより、なお一層の紙面充実に努めてまいりたいと考えています。今後とも広報紙をご愛読願いますと共に、ご意見等もどしどしお寄せくださることを心からお願い申しあげます。
ホッとして、振り返るレポート体験
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福井
森本 浩子さん |
私は、文章を書くのが苦手でしたので、広報が家に届くといつもドキドキしていました。今はホッとしています。 レポーターの体験を通して、身近な暮らしを振り返れたこと、町民生活と行政とのかかわりなど、多くのことを知る機会になりました。┼身のこれからは、広報紙によってますます関心が高まるようになると思っています。
今、4人の子どもを育てています。4町合併になっても素朴さというのでしょうか、昔からのイメージが失われない環境を残してほしいと思います。その意味では、先月号の広報にありました「チルドレンズ・ミュージアム」ができるのを楽しみにしています。
知らない一面が見られたレポート体験
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春日江
太野垣美由紀さん |
慣れないレポートに悪戦苦闘しました。特に、先月号の取材テーマ「市街地商業活動の活性化」については、とても難しくて苦労しました。
私は、どちらかといえば、福祉関係の分野を得意としますので、ホームヘルパーさんに同行した取材が印象に残っています。
広報レポーターの体験を通して実感できましたのは、町内各地で地道に貢献されている方々がたくさんおられるということです。篠山のなかなか知ることのない一面が見られたこと、また紹介できたことを喜んでいます。
新しい発見ができた街かどレポート
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和田
小林 一二三さん |
私のレポート体験もそうですが、皆さんのレポートを見る中で、私にとっての新しい発見がありました。特に、レポーターをしていたからかも知れませんが、広報「ねんりん」に対して、人一倍関心をもって読むことができたと思っています。
レポートを通しての感想は、地元篠山にいて、普段には気づかないことがたくさんあったというのが印象です。
昔からの伝統行事(亥子、正月行事等)や人と人とのふれあいなど、大切なことをたくさん教えられ学ぶことができました。
「街かどレポート」を応援します
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風深
浅井 歩さん |
レポーターとして携わった感想は、片寄った考え方であってはならない、「公の広報」ということで、取材するのが難しかったと思
っています。
レポートを通じて篠山に生まれ育った人々には、郷土意識が強くあるということを感じてきました。
エプロン記メからの歴史ある広報レポート。町民が原稿を書いて掲載するというこの企画は、レポーターを信用してまかせてもらっているという面で、意義があったと思います。「篠山が好きだから」というテーマが、過去から一貫した共通の視点であったからなのでしょうね。これからも応援します
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