| 丹波篠山太鼓 鼓篠組 丹波篠山太鼓「鼓篠組」 事務局 079(552)1111 篠山町役場企画課 |
丹波篠山といえばデカンショ節。それに継ぐ新しい郷土芸能として創設されたのが丹波篠山太鼓です。 産声をあげたのは1990年(平成2年)。佐渡にある太鼓集団「鼓童」で太鼓の基本を学び、以来今日まで初心を忘れることなくハードな練習を積み重ねています。 公演では、年を重ねるごとに円熟味を増し、躍動感あふれるその演奏は観衆に大きな感動を与えています。 公演活動は町内にとどままらず、県内外、さらには中国広東省、アメリカはワシントン州など海外でも大活躍。いずれも多くの人々の心をとらえて絶賛の声をいただくなど大成功を収め、古くから伝わる日本文化の普及に大きく貢献しています。 メンバーは若手の男女で構成されており、舞台ではいつも若いエネルギーが大爆発。力強さと、厳しい練習で培われたその技は絶品です。 丹波の山々に抱かれ、育まれた丹波篠山太鼓。是非一度ご覧いただければ幸いです。フレッシュなメンバーも募集しています。和太鼓に興味のある方は是非連絡してください。お待ちしています。 |
|
丹波篠山太鼓「鼓篠組」プロフィール | |
「鼓篠組」紹介![]() 春日能楽堂 ![]() 田園交響ホールでの記念公演 ![]() 力強い打ち手 |
歴史と伝統が生きる町「ささやま」に、デカンショ節に続く新しい郷土芸能の創造をめざして丹波篠山太鼓「鼓篠組」が結成された。和太鼓を中心とした伝統的な音楽芸能に無限の可能性を見いだし、常にふるさと篠山の人々に愛され、親しまれる集団でありたいと、志を同じくする者たち17名が1990年12月10日の結団式に顔をそろえた。 「鼓篠組」とは、篠山にいつまでも太鼓の音が響いてほしいとの思いで名付けられたものである。人間の基本的なリズムである母の胎内で聞いていた心臓の音と、大太鼓の音の響きは似たものがある。そんな懐かしい響きが城下町にこだまするよう、無心に太鼓を叩いていきたいという願いも込められているのである。 発足当初、太鼓を打ったことのある者はほとんどなく、経験がある者でも秋祭りに少し程度。初めは、太鼓を打つための基礎体力をつけるべく、腕立て伏せやスクワットなどの補強運動、ストレッチを繰り返す毎日が続いた。また、太鼓が手元に届くまでは古タイヤを叩いて練習を積んできた。自分の身体を見つめ直し、リズムと身体の動きをひとつにし、より深い音を探ることが、練習を重ねるうちにメンバー全員の想いとなっていった。 ひたすら打ち続けること1年と6カ月、念願の初舞台は1992年6月の篠山町役場新庁舎竣工式典における「お披露目」。たんば田園交響ホールの舞台に立ち、緞帳が開くまで時間の経つのがこんなにも遅いとは初めて感じた。そして、汗と涙の結晶ともいえる1時間余りの公演時間がこんなにも短いとは想像もしなかった。すべての曲を打ち終えたときには、「鼓篠組」に多くの人々から絶賛の声が…。 その後も、韓国サムルノリの第一人者「チンスェ」友情出演による旗揚げ公演、兵庫県広東省友好提携10周年記念「県民交流の船」兵庫文化の公演による中国公演、また、篠山町の姉妹都市・米国ワシントン州ワラワラ市姉妹都市委員会からの強い要請によるアメリカ公演など、地域での活動はもちろんのこと、遠くは中国・アメリカでも公演する機会に恵まれた。 また、1996年3月には、発足5年の集大成ともいえる記念公演を開催し会場を埋め尽くした800人の観衆に、そして地域の人々に、メンバーが必死になって創り上げてきた和太鼓集団「鼓篠組」の名をしっかりと刻みつけ、新しい伝統芸能の風を篠山の地に吹き込むことができたと考えている。この公演をバネに、さらに技術に内容に磨きをかけ、現在は、今年の夏に迫った第2回目のアメリカ公演をめざして、メンバー全員が一丸となって日々練習に取り組んでいる。 稽古、そして公演の中で生まれる打ち手の「息」を互いに感じながら、そして、ふるさと篠山の人々に愛され、親しまれる「鼓篠組」でありたいと、これからも汗流す毎日が永遠に続く。心に響く丹波篠山太鼓をめざして…。 |
| 公演活動 | |
| 1990年12月 丹波篠山太鼓「鼓篠組」発足 | |
| 1992年6月 篠山町役場新庁舎竣工式(たんば田園交響ホール)−デビュ− | |
| 8月 旗上げ公演(たんば田園交響ホール)−韓国プロ集団友情出演 | |
| 9月 兵庫県広東省友好提携10周年記念「県民交流の船」−中国公演 | |
| 10月 秋篠宮同妃殿下来町による歓迎演奏(篠山町役場) | |
| 1993年7月 第15回総合事業展(兵庫県立文化体育館:神戸市) | |
| 8月 ふれあいの祭典'93 ふれあいステージ(氷上町立中央小学校) | |
| 11月 国際シンポジウム交流パーティー(ユニトピアささやま) | |
| 1994年1月 第6回新春子どもまつり(三木市文化会館大ホール) | |
| 4月 短期留学生送別会(吉野ゴムセンチュリーハウス) | |
| 5月 明石ロイヤルライオンズクラブ15周年記念行事(明石キャッスルホテル) | |
| 1995年3月 阪神・淡路大震災疎開児童支援公演(ユニトピアささやま) | |
| 9月 米国ワシントン州ワラワラ公演−姉妹都市委員会より要請 | |
| 10月 篠山町合併20周年記念式典(たんば田園交響ホール) | |
| 1996年3月 丹波篠山太鼓「鼓篠組」発足5周年記念公演(たんば田園交響ホール) | |
| 7月 播磨町夏まつり(浜田球場内イベント広場:加古郡播磨町) | |
| 8月 津名まつり(しづかホール:津名郡津名町) | |
| このほか、デカンショ祭や味まつりなど町のビッグイベントで公演。デビュー以来、年間約20回の公演活動を行っている。 | |
| 演奏曲 | |
| 「ZOKU」−1992年 レナード衛藤作曲 | |
| プロの和太鼓集団「鼓童」が演奏している曲のひとつ。「ZOKU(族)」。部族、家族などに通じる言葉だが、私たちは「太鼓を叩く仲間」という気持ちで演奏している。いくつかのリズムを組み合わせ、それを繰り返していくというシンプルな構成ながら、この曲には、人間の奥底に潜む何ものかを揺り動かす不思議な魅力が秘められている。 | |
| 「山ふところ」−1992年 ひがしむねのり作曲(オリジナル) | |
| 豊かな自然に育まれた丹波篠山。春は桜に、秋は霧。冬は雪に覆われる山々は、篠山盆地を取り囲むかのようにそびえ立ち、四季折々の姿を呈してくれる。その山あいに、ふるさとの活気がこだまする。大太鼓と長胴太鼓の力強い競演が見ものの曲である。 | |
| 「城 下 町」−1992年 ひがしむねのり作曲(オリジナル) | |
| 太鼓の音は一里先まで聞こえるといわれている。城下町として栄えた丹波篠山。お城で打った太鼓の音は、町に響き、山々にこだまする。人々の生活・文化がお城を中心に栄える、そんな町の雰囲気を表現した曲である。 | |
| 「三 宅」−トラディショナル | |
| 三宅島に古くから伝わる太鼓。一説には、三宅島に流された流刑囚が、家族への熱き想いを込め、本土に向けて打ち鳴らしたという。単調なリズムではあるが、一打一打に熱き想いを込め力の限り打ち続ける。全体を通してスローからアップテンポへと移り、テンポに合わせた打ち手のバチさばきが見ものの曲である。 | |
| 「沸 点」−1993年 藤本吉利(鼓童)作曲 | |
| 口径2尺5寸、一本の木をくり貫いて作った大太鼓で演奏。一人が鼓動のように途切れることなくベースとなる地のリズムを刻み、もう一人がそのリズムにのり自由に太鼓へと向かう。まさに太鼓の原点ともいえる曲である。 | |
| 「屋台ばやし」−トラディショナル | |
| 日本で一番勇壮な囃子である。埼玉県秩父市の伝統芸能「屋台囃子」を模し、ハードの太鼓の中でも飛び抜けてきつい。打ち手が自分のすべてをかけて、なお余りある曲。太鼓打ちなら、だれもが打ちたい曲である。 | |
| 「鼓篠ふぇすた」−1992年 ひがしむねのり作曲(オリジナル) アンコール曲として鼓篠組がアレンジ | |
| 篠山はデカンショのまち。やぐらを組めば人々が集まり、踊りの輪ができ、人と人とが出会う。粋な娘らといなせな若い衆の太鼓の打ち踊り。型にとらわれることなく、自由に自分を表現したメンバー総出演のフィナーレ曲である。 | |
メンバー |
横山リーダー、押田サブリーダーのもと22名のメンバーで週3回、3時間の練習に汗を流している。 リーダー 横 山 実 サブリーダー 押 田 健 一 メンバー 酒 井 利 明 井 関 香 赤 松 一 也 大 西 基 雄 酒 井 篤 弘 新 家 弘 文 荒 木 光 浩 石 井 隆 司 山 口 しのぶ 太野垣 英 東 門 朋 子 山 内 直 子 藤 井 育 代 丸 山 真 季 押 田 香 織 池 上 明寿賀 山 下 充 子 岡 本 朝 子 西 村 由比子 岸 本 直 子 |