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丹波篠山地名考

「雲部(くもべ)」

雲部 雲部は周囲の土地が、入り込んでいました。
 「泉」は「和泉」と書き、四ケ荘に属し、野々垣、八上上、般若寺と同じ荘域でした。
 春日江、倉谷、佐貫谷、奥県守は、宋我部荘域で、旧畑村の範囲にあったのです。特に、春日江は、鎌倉時代末期の正慶年中(1322〜36)に、奈良の春日神社の分霊を祭りましたが、後に熊按神社と、社名を変更しています。
 それまでは、「田半瀧村」と呼んでいたようです。また、中県守と口県守は、元々一つで「県守村」と呼び、東西本荘とともに旧村雲村に属していたのです。 このように、四ケ荘と宗我部荘と村雲荘とに分かれていましたが、江戸時代は県守と本荘を除いて、泉組となっていました。県守と本荘は、向井組に属していました。ですから、東本荘の洞光寺は、「村雲の洞光寺」と呼んでいました。
 明治23年の町村制施行で、泉、倉谷、春日江、佐貫谷、西本荘、東本荘、県守(中、口)、奥県守、の8カ村が雲部村となりました。その名称も、村雲の「雲と「宗我部」の「部」を一字ずつ取って、「雲部」としたのです。 しかし、昭和30年4月の後川、日置、雲部の3村合併で「城東村」となった時に、長く呼称されてきた「雲部」の地名は、消滅しました。
 今では、「雲部車塚古墳」や「雲部小学校」、「雲部郵便局」、「農協雲部支所」などで残っています。
  
(参照図書) 角川日本地名大辞典、多紀郷土史考
丹波史懇話会会長 中野 卓郎