株式会社丹波篠山かまい農場

株式会社丹波篠山かまい農場
 
 
構井 友洋(かまい ともひろ)さん(35 歳)
 
高齢化の進む「地域の農業」を支える仕事
 
現住所 篠山市今田町木津
経営品目
栽培:水稲(コシヒカリ)・もち米・黒大豆・白大豆・大納言小豆・なた豆・ネギ・山の芋・自然薯・小芋・季節野菜・ニンニク
加工品:黒豆茶・ヤーコン茶・なた豆茶・黒豆うどん、そば・黒豆パウダー
経営面積 11ha
運営組織・体制 株式会社(平成24 年6 月設立、正社員2 名、常時雇用1 名、研修生2 名、パート3 名)
 
 
 
祖父が増やした農地を継いで、父と共に会社組織に育て上げる
 
―就農のきっかけを教えてください。
祖父の代に農地を買って増やし始めたのが、うちの会社のベースになっています。祖父は大正4年生まれ。終戦後に、杜氏や大工をしながら現金を稼ぎ、それで農地を買っていったそうです。いまの実家や作業倉庫もおじいちゃんが建てたものなんです。当時はお米のほかにタバコも作っていました。タバコの葉っぱを乾かす乾燥機が今年1 台つぶれてしまったんですけど、ずっと修理しながら最近まで使っていました。黒大豆の栽培が確立されてからは、タバコから黒大豆にシフトしていきました。
 
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農業倉庫も大工をしていた祖父が建てたものだ
 
 
父は運送会社に勤めていましたけど、祖父の体調が悪くなり始めて、20 年ほど前から農業を手伝っていました。僕は5 人兄弟(上に姉が4人)の末っ子長男で、祖父も祖母も、そりゃもうかわいがってもらったのを覚えてますね。特におじいちゃんが生きてる時はよく気にかけてくれました。その頃の遊び相手がおじいちゃんだったですよ。両親は共働きで昼間は仕事で居なったので、川に仕掛け作って魚を捕ったり、山にキノコ採りに行ったりね。そんな事をして遊んでたんですよ。当時、兼業農家の中では面積も大きい方だったんで、「中学の時に『跡を継ぐわ』とお前はいった」と父親は言ってました。「記憶にない」と言ってたんですけどね(笑)。僕は車の整備士として働いていたんですよ。当時は、時々農繁期に家の農業を手伝う程度で。でも平成18 年に辞めて、実家の農業を手伝うようになりました。きっかけは…「時代の風」もあったかもしれませんね。当時、丹波篠山ブランドが注目され始めて、業者の方がうちの農場にも「黒豆が欲しい」と出入りしはじめました。その方に「篠山には農産物のブランドがあるんよ」と教えていただいたんです。率直な感想として「あのしんどかった農業が仕事になるんや」「需要があって金儲けできるんや」と思った。
それに、機械、設備的もそれなりに揃ってました。タイミング的にはやりやすかったんじゃないかなと思います。
 
 
 
農地を増やしつつ地域の農業を地域と共にもりあげたい
 
―現在作られている品目とこだわりのポイントをお教えください。
お米、大納言小豆、白まめ、黒豆、ナタマメ、黒枝豆、早生枝豆、そして3年前に始めたのがニンニクですね。ニンニクは植え付けが11 月で収穫が5 月。
会社的にも、5 月以降の収入っていうのがあんまりなく、収入のすき間を埋めるために栽培し始めました。栽培に関しては、肥料の配合を変えたり、栽培方法を変えたりと、試行錯誤は常にしていますね。
 
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豆だけではなく、黒豆茶などの加工品も販売している
 
―今後の展望について教えてください。
自分が農業を本格的に手伝うようになって、最初にしたのは営業活動だったんです。11 月から農業をし始めて、米や豆が一区切りついた12 月くらいからお米の営業を始めました。毎朝、母親にお米を炊いて貰い、それをおむすびにして、お米とおむすびと持って営業先に行く…。営業先で食べて頂いて、おいしかったら取り扱い御願いしますと伝え営業活動をしておりました。その時は何日かかかって20 社くらい回りました。翌年にはゴルフ場1 件の契約が取れました。その翌年にまた大きいレストランが取引してくれることになりまして。他にも三田市内の飲食店や居酒屋さんなどにもお米・黒豆・野菜を届けるようになりました。うちの売り上げの7~8割はそういう大口取引先や飲食店さんですね。配達に行った先で「こんなん収穫時期ですけど、どうですか」と言って、注文を取ってくることもありましたし、うちで育てていないものに関しては調達や紹介したりしました。父親が始めた頃はほとんど個人のお客さんへ販売していたと思うんですが、僕が関わり始めて変わったのはその点です。ただ、最近はネットや個人販売のお客さんも増やしていきたいと考えています。女性のパートさんや研修生さんにも意見をもらいながらパッケージを工夫したり、色々なキャンペーンをしたりとかですね。いろいろ工夫をしているところです。
 
もちろんまだ、農地も増やしていきたいですよね。この地域も高齢化が進んでいって農業をしていくのが今後ますます大変になる。例えば黒豆の機械化だったり、新たな作物の栽培であったりと、いろんな栽培物を地域の人にも作ってもらって、地域と一緒に盛り上がっていけたらいいかなと思っています。
 
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この日も陽の落ちる直前まで、乾燥黒大豆の脱穀作業が続いていた地域と共に「丹波篠山ブランド」を守り、育てる
 
 
―農業分野における丹波篠山の『価値』について教えてください。
「丹波篠山ブランド」があるので、収入は安定しやすいかもしれないですね。
農業従事者の年齢も全国的に見ても若いんじゃないでしょうか。行政も含めて若手を支援する仕組みも手厚いと思います。僕自身もその「丹波篠山ブランド」に可能性を感じて、農業を継ごうと思ったくらいですからね。
 
 
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研修生として働いてくれている髙橋さん(左)と共に
 
 
―新規就農を目指す人にメッセージをお願いします
いま、篠山市に新規就農で移り住もうと思うと、正直、負担が大きいと思うんですよ。これから農業を始める人たちは、「地域の農地と歴史を守る」ような役割も出てきている。だから、地域(住民)の期待値も高いんですよね。そういう中で、自分で出来る事と出来ない事をしっかり決めて、農業をしていく必要があると思っています。どの作物を軸に営農していくかとか、経営理念をしっかり持って営農していってほしいです。そういう意味では、まずは研修制度や農業法人への就職も含めて、まずは「地域に入ってみて」、その地域の雰囲気や住民の方々になじんでから農業をしてもいいかもしれないですね。地域の仕
組みを知るというのは、本当に大事なことですから。情勢的に「農業」もますます注目されてきていて、風向きはよいと思うんです。行政も含めて新規就農については体制が整いつつありますし、収入の面でもやりやすくなっている。
なので、チャレンジ精神も持ちつつ、したたかさも持ってもらって(笑)、なるべく長続きするような、経営計画を立てていただきたいなと思っています。
(2018 年12 月)
 
 

 (株)丹波篠山かまい農場・構井友洋さん インタビュー(PDF:458KB)

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