篠山市長ブログ

本能寺の変の謎は「丹波篠山」にあり(市長日記)

 来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀が描かれます。

この光秀にとって「丹波攻め」は、武将としての活躍で一番に取り上げられるものです。

攻められたのが、わが八上城の波多野秀治でした。

何度攻められても、波多野は強くなかなかおちません。

そこで光秀は母を人質に差し出し、波多野は和睦に応じることとしましたが、信長は城を出た秀治を処刑してしまいます。

これを知った波多野の家臣は光秀の母、お牧を松の木にはりつけにしました。

その3年後に本能寺の変が起こったのです。その日は光秀の母の命日でした。

 

大河ドラマで光秀の母、お牧を演じるのは石川さゆりさんです。

石川さゆりさんは八上城ではりつけになるのです…。

NHK大河ドラマ「秀吉」(平成8年放映)では、このシーンがあります。

この時お牧を演じたのは野際陽子さんでした。

 

こんなことを考えると、楽しみでいっぱいです。

丹波篠山市では、石川さゆりさんのコンサートを実現したい。

そして、500年の時を越え、心を通じ合いたい…と願っています。

 

以下パンフレットより抜粋

 

謎多き、本能寺の変。

なぜ明智光秀は織田信長を討ったのか?

その謎を解く鍵は、丹波篠山にあった。

 

<明智光秀と優しき母>

織田信長に重臣として仕え、数多くの戦果をあげた明智光秀は、幼いころに父を亡くし、母の「お牧」に大切に育てられた。お牧は、光秀に武士としての心構えを諭し厳しくもあったが、心優しい母であった。そんな優しきお牧は丹波篠山で悲しい最期を迎えたとされる。お牧の死が本能寺の変を引き起こしたのかもしれない。

 

<明智光秀、丹波篠山にて戦う>

1577年10月、天下統一をめざす信長の命令により、光秀は丹波篠山へ攻め込み、戦国大名の波多野秀治と八上城で戦いをくりひろげた。光秀は八上城を兵糧攻めし、城内に兵糧を運ぶ修行僧を探し斬殺するなど凄まじい戦いであったが、秀治は籠城にて抵抗し、光秀とのにらみ合いは続いた。

 

<決着をつけるための覚悟>

焦りがつのった光秀は秀治に人質の差し出しと命の保障を約束に降伏するよう申し出ることを考える。そして、自らの母であるお牧を人質として差し出すことを決意する。息子想いの優しき母は、光秀の覚悟をくみとり、これに応じる。しかし、これが悲劇の始まりだった。

 

<お牧の悲しき最期>

戦いから1年半もの月日が流れ、食糧が尽き、亡くなる家来も多く出る中、秀治もこれに応じ八上城を出る決意を固める。安土の信長のもとに参った秀治であったが、信長はあろうことか命の保障の約束を破り秀治を処刑する。これを聞いた秀治の家臣らは激怒し、人質であったお牧を高城山の松の木にはりつけにし、処刑した。その光景は、目をふさぎたくなるような無残な最期であった。母を失った悲しみに暮れる光秀は約束をやぶった信長に対し、怨念を抱く。

 

<そして、本能寺の変へ>

その3年後の1582年6月2日、光秀は本能寺の変を起こす。その日は、奇しくも光秀の母の命日であった。

 

信長の裏切りにより、母を失った光秀。

はらわたが煮えかえるようなその怨念こそが、本能寺の変の裏切りを起こしたのではとされている。

丹波篠山で起きた、明智光秀の母をめぐる悲しき物語。(諸説あり)

SKM_C284e 119060709530.jpg

SKM_C284e 119060709531.jpg

 

このページの先頭へ戻る