篠山市長ブログ

明智光秀を大河ドラマに(市長日記)

平成24年5月9日(水曜日)

 「明智光秀をNHK大河ドラマに」と、長岡京市をはじめ、福知山市、舞鶴市、綾部市、宮津市、亀岡市、京丹後市、大山崎町の京都府の8市町が大河ドラマ誘致推進協議会をもうけて取り組みをすすめておられます。

 昨年の12月市議会にて、森本富夫議員から「篠山市もぜひ一緒に取り組めばどうか」との提案を受け、これまで担当課から連絡、協議していましたが、今日、長岡京市に出かけて、小田市長とお出会いし、兵庫県の篠山市と丹波市も一緒に取り組みたいとのお話しをさせて頂きました。

 小田市長からは、もう3年位以前から取り組んでいること、明智光秀とともにその娘の細川ガラシャの戦国を生きた父と娘をテーマにしたいこと、平成26年放映をめざしていること、全国で10か所位からの要望があって難しい面もあるが手応えは感じていることなどお教え頂き、そして、ぜひ一緒に取り組めるよう、他の市町にも呼びかけますという大変心強いお返事を頂きました。

 篠山市では、明智光秀は八上城の波多野氏を滅ぼした「敵」ではありますが、八上城をめぐる悲話やロマンも数多く、これが注目されることを大いに楽しみにしています。

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▲中央が長岡京市 小田市長、左が丹波市観光振興課 山中課長

 

 八上城の概要は次のとおりです。

 八上城は天正の初めごろ、戦国武将として丹波、但馬、摂津にかけて四十余城、三十余の砦を抑えていた波多野氏の拠城であった。

 山頂に城を築いて高城と号し秀経(別名晴通、元秀、晴秀)に至って防備を増強した。

 しかし、秀経には子がなく、因幡(鳥取県の一部)波多野秀行(別名清秀)の子、千勝丸を養子に迎え、元服させたのが、武勇にすぐれたこの八上城主、秀治である。

 織田信長の“天下統一”が始まった天正三年から同七年にかけて、明智光秀、羽柴秀長らの大軍による丹波攻めが始まり、前後11回にわたる攻撃にも八上城はゆるがなかった。

 四十余城の丹波武士の勇敢・巧妙な軍略と自然の地形をうまく取り入れた軍略的な陣地構築が、織田勢を寄せつけなかったといえる。

 だが、この城も光秀の多紀、氷上連合勢力の分断作戦による金山城占拠によって急変、和議と称する謀ごとで秀治は51歳、弟秀尚は25歳で命をたち、城に残った義弟、二階堂秀香ら多くの将兵は二ヵ月の篭城の末、本丸に火を放ちことごとく自刃した。時に天正七年八月二日のことであった。

 丹波一大合戦の古戦場となった八上城には朝路姫が身を投じた朝路池、血洗池、はりつけ松・・・など、落城の悲話を秘めた伝説も数多い。

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▲『篠山ふるさとガイドブック』掲載

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▲『丹波のむかしばなし 第三集』掲載

 

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